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採用プロジェクト ブログリレー 〜私たちの就活編〜 ②藤﨑勇宇

藤﨑 勇宇

2022年度に新卒入社しました、ときたまひみつきちCOMORIVERの藤﨑です。
画像③

今日はリクルートチームによる「私たちの就活」のブログ第二弾として、自分が就職活動をしていた時に考えていたことを丸裸にしてお伝えしたいと思います。

大学時代を思い返すと就職関係の話って意外とセンシティブだったり、機会がなかったりで、人と話すことが案外少ないように感じます。そして、気がつくと取り巻く周りの環境はすっかり就活色に染まって行き、そんな変化に私は閉塞感を感じていました。

新卒入社という、世界中にチャンスが転がり、行きたい企業が選びたい放題のタイミングにそれでは勿体無い!

ということで、就活を誰よりも楽しんだと自負する私の大学時代のお話にお付き合いくださいませ。

私が実際に受けた企業

私は就職を楽しむことを意識していましたが自分の将来を決める就活という大舞台に時には悩み、とっても緊張したのも事実です。そこで私は受ける企業を3つのグループに分ける作戦を立てて、大学3年から始まる大勝負に備えていました。

私が実際に受けた企業はこんな感じです。
写真2 受けた会社リスト

上から第一志望グループ、興味あるグループ、確実に受かりたいグループです。

私の場合、「どこにも就職できずに路頭に迷うかもしれない」という不安が一番のストレスでした。そのため、就活初期では語弊を恐れずにいうと受かりそうだと感じた企業を狙ってインターンシップや説明会に参加する作戦でいました。なぜ受験では滑り止めという言葉をよく聞くのに、就活になった途端にあまり聞かなくなるのだろうと不思議に思いました。

幸運なことに早い段階で内定をいただけたことが、この後の就活において大きな支えになりました。

また、説明会や面接の経験をつめたことでその後の就活においてのアドバンテージになったように思います。

私が意識していた就活における3つの軸

写真3 下書き

写真4 未来地図

就活の軸(1) 就活は大恋愛

面接は合コン、就活は婚活。
就活=恋愛

私はよく就職活動のことを恋愛に例えて考えていますが、改めて文章に書き起こすと恥ずかしいですし、なんだか胡散臭いですね…

これからの長い人生で務めていく会社を探して、その会社に選ばれるように対策を練って、たくさん悩んで面接を受ける。その過程において、企業という相手から選ばれなければ何も始まらないと言う就活の仕組みは恋愛みたいじゃん!と思っていました。

面接では少しでも面接官に「この人と一緒に仕事したい!」と思っていただけるよう意識していました。入室時のマナー、敬語のマナー、試されているような逆質問コーナー。これらの基本的な面接対策は今やインターネットでも情報が溢れかえるほどに普遍的なものであるので、私はそれ以外の部分で目に留めていただけるよう努力をしていました。

優しくて、清潔感があるだけでは必ずしもモテるとは限らないと言われるのと一緒で、身だしなみやマナーを完璧にしても結局周りと差がつかず、選ばれるまでには至らないのが就活だと思っています。

園芸関係の会社を受けたとき、今となっては笑えちゃいますが力仕事もできそうと思っていただけるように洋服をたくさん着込んで、少しでも体を大きく見せようとしたりと、悪あがきとも思える作戦を色々実行していました。

就活の軸② 旅行先を探すような気持ちで

すし詰めの電車に乗って黒い服を着た人達に囲まれる社会人生活は送りたくない。大学時代、私は漠然とそう思っていました。

そう考えるようになった背景は、おそらく両親や周りの友人や先輩の影響がありました。両親はそれぞれ自営業のスタイルで仕事をしており、物心がついた頃から父親のスーツ姿を見た記憶が数えるほどしかありません。友人は東京大学を目指しながら、アーティストになる夢を追いかけて作曲に勤しんでいたり、巨匠建築士を目指して無給で建築事務所で修行している友人と過ごす中で、無意識のうちに自分も負けじと夢中になれる仕事を求めるようになっていました。

迷ったらワクワクする方へ、自分の気持ちに素直に。

私が就活で受けた9社のうち、東京の会社は4社だけでした。大阪の会社や群馬県の旅館など、今思えば周りが就職活動を始めて、あまり友人とも遊べなかったストレスから就活という口実を使って、遠出したり観光をしたかったのだと思います。

就活の軸③ 世界へ

私は中国人の母と日本人の父の間に生まれたハーフなので、就職活動ではまずどちらの国で生きて行こうか。という悩みからスタートしました。

写真7 上海

小学校は中国上海で5年間過ごしたこともあり、将来は自分のルーツとも言えるもう一つの母国である中国で勝負したい、力試ししたいという思いをずっと抱いていました。私が過ごしていたころの中国には湯船に浸かる文化がなく、日本に帰国後、久しぶりに浸った露天風呂のあまりの気持ち良さは今でも忘れられません。そして各地の温泉に足を運ぶようになり、いつしか中国で人々を癒す温浴施設をプロデュースしたいという夢もできました。

温泉道場に決めたきっかけ

大学三年生の夏、蒸し暑い夜に眠れずネットサーフィンをしていたとき、ふと思い立ってスマホで検索しヒットした温泉道場。

私は漠然と「面白そうな会社」と感じて、サウナ説明会に足を運びました。

写真8 説明会

しばらく時が経ち、冬の長期休暇を使って温泉旅館でアルバイトをしていたときに不思議な巡り合わせがありました。女将のバッグから見覚えのある顔写真が…。

そのブロマイドと目があうこと数十秒。

必死に記憶を探って行くと、なんとサウナ説明会で話した温泉道場の社長である山崎さんの顔でした。

驚いて、女将さんに「なぜ、この写真をもっているのか?」と聞くとちょっとはにかみながら「このご時世でここも運営が大変でね、実はここを救ってくれるヒーローを探しているのよ」と教えてくれました。その時、温泉道場に覚えていたドキドキやワクワクが確信に変わったような感覚とともに、ここに入って自分がヒーローになるのだという使命感が芽生えました。

これらの小さな偶然に必然性を感じて、私は温泉道場入社という大きな決意をするに至りました。

写真9 コモリバメンバー

さいごに

私が温泉道場に入社して、早1年が迫ろうとしています。刺激的で、充実した毎日を送っていますがまだここで何も達成していませんし、夢へのステップを店舗メンバー、そしてこれから入ってくる後輩のみんなと登って行くのがとっても楽しみです。

これから就活を迎える皆様も、目の前に広がる無限の可能性に精一杯悩んで、精一杯楽しんじゃってください!

藤﨑 勇宇YU FUJISAKI

Department
おふろcafé utatane
Position
マネージャー

東京の落合で育ち。上海での暮らしを通じて日本の自然やおふろ文化に目覚め、大学でデザインを学ぶ傍ら自然と温泉漬けの日々を過ごす。1カ月住み込みでアルバイトとして働く中で「1000年愛される温浴施設を残したい」と思うようになる。地元に恩返しがしたい、いい温泉を世界に発信したい。そう願って日々勉強中です。

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